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名古屋地方裁判所 平成6年(行ウ)11号 判決 1996年10月30日

原告 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 内河惠一

同 武藤司郎

同 渥美裕資

同 竹下義樹

同 尾藤廣喜

被告 名古屋市中村区社会福祉事務所長 鬼頭五郎

被告 名古屋市

右代表者市長 西尾武喜

右両名訴訟代理人弁護士 鈴木匡

同 大場民男

右両名訴訟復代理人弁護士 鈴木雅雄

同 深井靖博

同 堀口久

主文

一  原告が平成五年七月三〇日にした生活保護の申請に対し、被告名古屋市中村区社会福祉事務所長がした生活保護開始決定(同年八月一二日付け書面により同年九月三日に通知されたもの)を取り消す。

二  被告名古屋市は、原告に対し、金二五万円及びこれに対する平成五年九月三日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを八分し、その四を被告名古屋市中村区社会福祉事務所長の負担とし、その一を被告名古屋市の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一項と同趣旨

2  被告名古屋市は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成五年七月三〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁(被告名古屋市中村区社会福祉事務所長)

(一) 本件訴え中、被告名古屋市中村区社会福祉事務所長に対する請求に係る部分を却下する。

(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。

2  本案の答弁(被告ら)

(一) 原告の請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の主張

1  原告は、昭和一三年二月二二日出生の日本国籍を有する男性である。

2(一)  原告は、平成五年七月三〇日、被告名古屋市中村区社会福祉事務所長(以下「被告所長」という。)に対し、生活保護の申請(以下「本件申請」という。)をした。

(二)  これに対し、被告所長は、同日、口頭にて、大菅病院において通院治療を受けるように指示し、その結果を受けて、原告に対し、生活扶助及び住宅扶助はしない旨告げた。

(三)  被告所長は、同月一二日付けで、本件申請により開始した保護を同月三一日をもって廃止する旨の決定(以下「本件廃止決定」という。)をし、同年八月一三日、原告に対し、書面により通知した。

(四)  被告所長は、平成五年九月三日、原告に対し、同年八月一二日付け書面により保護開始時期を同年七月三〇日、保護の種類を医療扶助とし、生活扶助及び住宅扶助を含まない保護開始決定(以下「本件開始決定」という。)の通知をした。

(五)  原告は、平成五年九月一日、本件開始決定につき愛知県知事に対し審査請求をしたが、愛知県知事は、同年一〇月二一日、これを棄却する旨の裁決をした。

(六)  原告は、平成五年一一月一八日、厚生大臣に対し、再審査請求をしたが、厚生大臣は、平成六年二月九日、これを棄却する旨の裁決をした。

3  本件開始決定は、平成五年七月三〇日になされたものであり、次の理由により、違法である。

(一)(1)  原告は、本件申請前は、名古屋市において、日雇建設労働に従事していた。

(2)  ところが、平成四年ころから両足が痙攣したり、両足に痛みが生じるなどの症状が出るようになり、就労不能のため三日間建設労働を休職したことがあった。また、平成五年四月二一日から、同年七月二日までの建設作業員として就労期間中も、週に一度くらいは、両足に引きつけ感があり、サロンパスの貼付等により対処していた。

その後も、左膝下に痛みが生じたり、足が痙攣したりしたため、病院で治療を受けるなどしていたが、症状が若干軽減した同年七月二〇日から、春日井市所在の飛矢隆組において建設作業員として就労していた。しかし、同月二四日の夜、足の痙攣を起こしたため、翌日の二五日、解雇されてしまった。

原告は、同月二七日ころまでは、旅館等に宿泊し休養したが、右の症状は、改善せず、両足筋肉痛も続いた。他方、右解雇時の受領賃金は、一万六七〇〇円であったが、右旅館等での休養、宿泊でこれを費消し、手持金がなくなった。

しかしながら、折からの不況で雇用調整の集中する日雇労働者の場合、就労先の減少は顕著で、特に中高齢の労働者においては、ほとんど求人先がないという状況であった上、原告には右のような症状があったので、原告が現実に就労することは、不可能であった。

また、寒いと足が痙攣しやすい疾病の身であったため、野宿することは肉体的に強い苦痛をもたらし耐え切れないものであった。

そこで、原告は、同月三〇日、名古屋市中村区社会福祉事務所(以下「福祉事務所」という。)を訪れ、医療扶助、生活扶助、住宅扶助を求めて、本件申請をしたものである。

(3)  したがって、本件申請時、原告には稼働能力はなく、仮にあったとしても、利用できる稼働能力を活用していないと言える状況にあったものではない。

(4)  しかるに、被告所長は、医師の就労可能という医学的判断のみに基き原告が生活保護法(以下「法」という。)四条一項の規定する保護の補足性の要件を満たしていないとした上、保護の要否について判断することなく、本件開始決定をしたものである。

なお、法四条一項は、本来、本件のように初めて保護の申請をした場合に適用されるものではない。

(二) 本件開始決定は、医療扶助のみを支給するものであり、その保護の内容は、原告において最低生活を到底維持できないものであるから、原告の最低生活を保障しておらず、法一条及び三条に違反する。

(三) 被告所長は、内部文書(甲八)により、野宿者である原告に対し、他の保護申請者と区別した画一的ないし定型的な取扱いである「応急手当て」という法二四条に基かない取扱いをし、原告を生活保護法の適用から実質的に排除したものである。

したがって、本件開始決定は、無差別平等を規定する法二条に違反する。

(四) 本件開始決定は、厚生大臣が決定した保護基準を無視して最低生活基準を下回る保護の種類及び程度の保護を実施する旨の処分であるから、法八条に違反し、また、原告に対し、適切な保護を速やかに実施しなかったという点で法九条にも違反している。

(五) 本件開始決定は、生活保護手帳が求めている扶助の充当順位を無視し、保護の要否の判定を行わず、必要な保護の種類及び程度をも判定することなく、形式的かつ画一的に医療扶助のみの単給決定を行っている。

したがって、本件開始決定は、法二四条一項に違反する。

(六) 右のように、本件開始決定は、法をあらゆる点で無視した著しく違法な処分であるから、憲法二五条に違反する。

(七) なお、本件廃止決定も法一条ないし三条、八条、九条及び二六条に違反する処分である。また、法五六条にいうところの「正当な理由」に基かない保護の不利益変更である。

したがって、本件廃止決定も憲法二五条に違反する。

4  被告所長の不法行為

(一) 加害行為

(1)  被告所長は、本件申請の際、原告に所持金がないことを認識しながら、法二五条に基づく保護の要否を判定せず、かつ、必要な保護の種類、程度及び方法を判断しないで、単に医療扶助のみを形式的に決定した上、前記のような違法な本件開始決定をした。

(2)  被告所長は、本件廃止決定に当たり、原告が法二六条に定める保護を必要としなくなったときに該当するかどうかをなんら判断することなく、原告に対する医療扶助を平成五年七月三一日をもって機械的に廃止したものである。

被告所長は、原告が慢性化した両足の痛みや痙攣を訴えて度々福祉事務所を訪れており、にわかに両足痛等が治癒するということは到底考えられない状況にあったにもかかわらず、同月三〇日に医療扶助を開始し、その翌日をもって本件廃止決定をした。

被告所長は、同月三一日の時点で原告に所持金がなく、原告が生活困窮状態にあることを認識していたのであるから、むしろ、当初の医療扶助に生活扶助及び住宅扶助を加えた上、保護を継続すべきであったにもかかわらず、本件廃止決定をした。

(3)  本件開始決定の通知は、法二四条三項により、保護申請があってから、原則として一四日以内、遅くとも三〇日以内に行わなければならないにもかかわらず、三〇日以上を経過した平成五年九月三日になってようやく行われたものである。しかも、本件廃止決定から半月以上経過してからなされている。これは、保護申請者に対し、不服申立ての機会を保障している法の規定を無視するものである。

(二) 損害

(1)  原告は、住む所もなく、食べ物を購入する金もなく、しかも、足の痛みに悩まされながら、不況のため働く場所もないという、極めて切迫した状況下で最後の助けを求めて本件申請をした。

しかるに、被告所長は、原告の訴えを無視し、違法な本件開始決定をした。そのため、原告は九月末日にようやく就労先を得て飯場に入るまで、野宿をしながら、週二回行われているボランティアによる炊き出しで食物を得たほかは、水を飲むだけの生活をせざるを得なかった。

その精神的苦痛は、甚大なものであったと言わなければならない。

(2)  本件廃止決定は、原告の不安をつのらせ、原告の生存権を無視した決定であり、そのことによる原告の苦痛も極めて大きかった。

(3)  また、本件開始決定の通知が遅れたことにより適時に不服申立てをすることができず、原告は、被告所長による差別的な取扱いによって精神的に損害を受けた。

(4)  原告が被った以上の精神的損害に対する慰謝料の額は、一〇〇万円を下らない。

5  よって、原告は、本件開始決定の取消しを求めるとともに、国家賠償法に基き、被告名古屋市に対し、不法行為による慰謝料一〇〇万円及び本件開始決定の日である平成五年七月三〇日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をすることを求める。

二  本案前の答弁の理由(被告所長)

被告所長に対する請求は、平成六年五月一三日提出の訴変更申立書によって交換的に追加されたものであるところ、再審査請求の裁決書は、平成六年二月一〇日に原告に送達されているから、右訴えの変更は、原告が右裁決を知った日から三箇月を経過して行われたことになる。

したがって、本件訴え中、右変更後の請求に係る部分は、不適法である。

三  本案前の答弁に対する原告の反論

変更前の請求は、単なる不作為ではなく、生活扶助、住宅扶助をしないという不作為について、その違法確認を求める請求であり、変更後の取消請求とは訴訟物が同一である。また、右のような不作為の違法確認請求は取消請求を包含しているとも言えるから、変更後の請求は、訴状の提出された平成六年五月九日になされていたものと評価できる。

したがって、本件においては、出訴期間を遵守しているといえる。

四  原告の主張に対する被告らの認否

1  第1項及び第2項の事実は、認める。

2  第3項の事実のうち、本件開始決定が平成五年七月三〇日になされたとの事実は、否認する。本件開始決定は、同年八月一二日になされたものである。

(一) 同項(一)のうち、(1) の事実は、認める。(2) の事実のうち、原告が就労することが不可能であったことは否認する。(3) (4) の事実は、否認する。

(二) 同項(二)ないし(七)の事実は、否認する。また、法律上の主張は、争う。

3  第4項の事実は、否認する。被告所長の行為は、不法行為には当たらない。被告所長が、原告を差別して取り扱ったことはない。また、本件開始決定の通知が遅れたことにより、原告が損害を被ったとは言えない。

4  第5項は、争う。

五  被告らの主張

1  本件開始決定の適法性について

(一) 原告に対する診察、治療について

(1)  原告は、「足が痛い」との理由を記載して本件申請をした。

(2)  そこで、被告所長は、まず、法二八条による検診命令(治療行為を伴わない医師の単なる診断を求めるもの)を出し、稼働能力の有無についての医師の医学的意見を求めた上、当該意見を保護の要件の判断材料の一つとして、原告について保護の要件の有無を判断する必要があった。

(3)  しかし、治療費を所持していない原告が足の痛みを訴えている状況下で、単に検診命令を出すのみでは、原告の足の痛みをそのままに放置することになることは明らかであった。そこで、被告所長は、人道上やむを得ない措置として、治療行為を伴わない検診命令ではなく、原告に当面の診察、治療を受けさせ、併せて稼働能力の有無の判断材料を得ることとした。

(4)  右診察、治療の結果については、職員が医師の判断を問い合わせたところ、「病状は、足の筋肉痛であり就労可能」というものであり、後日、当該医師から送付された医療要否意見書には、診療見込期間について一日間(申請当日に行った治療のみ)を要する旨記載されていた。

(5)  そこで、被告所長は、当該診察、治療については、法上の医療扶助と位置付けることとし、原告が診察、治療を受けた病院からの医療要否意見書の送付を待って、平成五年八月一二日に本件開始決定をしたものである。

(6)  したがって、本件開始決定は、右診察、治療に限っての応急的な措置として行なわれたものにすぎず、原告の全般的な要保護性を認めた上で行なわれたものではない。

(二) 保護の要否判定について

(1)  補足性の要件について規定している法四条一項の「能力の活用」には、「稼働能力の活用」も含まれている。そして、保護の実施機関が、保護の要件を満たしていないと判断した場合には、たとえ生活に困窮している者であっても、急迫した事情のある場合(同条三項)を除き、保護は行われない。

(2)  本件においても、被告所長は、

<1> それまでに原告から相談を受けたことのある職員による原告本人からの就労経歴、年齢等の聴き取り結果

<2> 原告の状態(顔色、歩行状態)についての同職員の所見

<3> 医師による就労可能であるとの判断

<4> 傷病名としては、左下腿筋挫傷としか判断されていないこと

などを検討した結果、原告については、稼働能力の活用がなされていない、又は不十分であると認められ、かつ、法四条三項の急迫した事由が認められない(ある特定の日時において就労できなかったという事実のみでは急迫した事由があるとは認められない。)から、同条に規定する保護の要件を満たしていないと判断し、本件開始決定をしたものである。

(三) 本件申請時の雇用状況について

(1)  被告所長は、保護の要否判定に当たり、原告の就労可能性についても判断した。

すわなち、担当職員は、本件申請の際、原告に対し、求職状況を尋ね、原告から、「探したけどなかった。」との返答を得たが、名古屋市民政局から送付されていた資料により、一般的な雇用状況として「仕事は探せばある」と把握していたので、日雇労働の場合も、就労先は探せばあると判断したものである。

(2)  そして、実際、本件申請当時、公共職業安定所などにおいて、就労能力のある者が求職活動を行えば、就労の機会を得ることが可能な状況にあった。

したがって、本件申請当日に原告が就労の機会を得ることができなかったとしても、原告に急迫した事由があったとは言えない。

2  本件廃止決定について

本件廃止決定は、法上の医療扶助と位置付けた応急的な診察、治療がすでに終わっていたこと、原告が、元々、保護の要件を満たしていなかったことを勘案して行ったものである。

3  原告への本件開始決定の通知と損害の発生について

本件開始決定の通知は、原告の通知先が不明であったため、やむを得ず、社会福祉事務所において直接交付するという手段をとったために遅れたものであり、原告を差別的に取り扱ったものではない。

また、右通知は、平成五年九月三日に実際になされており、原告は、同月一日には、審査請求をしているのであるから、速やかに審査請求を行う機会が奪われたということはない。

したがって、通知の遅滞により原告に損害が発生したとは言えない。

六  被告らの主張に対する原告の反論

稼働能力を活用するため就労しようとしても、現実に働く場がないため就労できないでいる場合には、稼働能力を活用していないことにはならないにもかかわらず、被告所長は、医師の就労可能との判断のみに基き、原告が稼働能力を活用していないと判断したものである。

また、本件申請時における原告の切迫した状況、働く場所もなく野宿を余儀なくされている状況からすれば、原告の場合、法四条三項の急迫した事由があると考えるべきである。

なお、公共職業安定所は、原告のような野宿者に対し、職業の紹介を行っていない。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

第一本案前の答弁について

本件においては、平成六年五月九日受付の訴状において、請求の趣旨として、「被告名古屋市中村区社会福祉事務所長磯部紳一が、一九九三年七月三〇日付原告の生活保護法による保護の申請に対し、同日付で医療扶助のみを内容とする保護開始処分をなし、生活扶助、住宅扶助を認めないことは違法であることを確認する。」と記載されていたが、平成六年五月一三日受付の訴変更申立書と題する書面により請求の趣旨第1項と同趣旨に変更された。

そこで、右変更の法的性質について検討するに、訴状に記載されている右請求は、本件申請に対し被告が処分をしないことが違法であることの確認を求めるといった行政事件訴訟法三条五項に基づく不作為の違法確認請求ではなく、本件申請に対し被告が行った本件開始決定の中に、生活扶助及び住宅扶助が含まれていないことの違法確認を求めるものであって、訴状に記載されている請求原因からすれば、本件開始決定そのものの違法確認を求めるものであると言える(もっとも、行政事件訴訟法上、行政庁を被告として、そのような違法確認を求めることは認められていない。)。

他方、変更後の請求は、本件開始決定の取消しを求めるものであり、その訴訟物は、本件開始決定の違法性である。

そうすると、両請求は、実質的に同一の訴訟物に係るものであり、その請求原因も実質的に同一であるから、右訴変更申立書による変更は、出訴期間との関係では、訴状受付の時点で変更後の請求により訴えの提起があったものと見るのが相当である。

したがって、変更後の請求をもって出訴期間を徒過しているとすることはできない。

第二本案について

一  原告の主張第1項及び第2項の事実は、当事者間に争いはない。

二  次に、本件開始決定の適法性について判断する。

1  証拠(甲一〇、一九、二六、藤井証人、神谷証人、原告本人)と弁論の全趣旨によると、原告が本件申請をするに至った事情として、次の事実(一部争いのない事実を含む。)が認められる。

(一) 原告は、昭和一三年二月二二日生まれの男性であり、昭和二八年三月に中学校を卒業した後、何度か転職したが、昭和五三年ころから、飯場に入って土方や大工の仕事をするようになった。そして、本件申請前は、名古屋市とその近辺において、日雇建設労働に従事していた。

(二) ところが、平成四年一〇月ころから両足の筋肉が痙攣したり、両足の筋肉に痛みが生じるなどの症状が出るようになり、就労不能のため三日間建設労働を休職したことがあった。

(三) 原告は、手配師の紹介により、平成五年四月二二日ころから、同年五月二〇日ころまでの間、港区にあった松永工務店の飯場で建設作業員として働き、同年六月二日ころから同年七月二日まで再度松永工務店の飯場で建設作業員として働いた。

そして、右就労期間中も、時々、足が痙攣を起こし、型枠の解体作業中に足が痙攣したため足場上で座り込んでしまったこともあった。しかし、そのような症状には、サロンパスの貼付等により対処していた。

(四) その後、原告は、岐阜市、名古屋市において就労先を探したが、見つけることができず、平成五年七月七日ころから、名古屋駅付近において野宿をするようになった。

そして、同月八日、食物を得るためボランティアによる炊き出しの場に出かけた際、足の筋肉が痙攣を起こしかけ、その場に居合わせた笹島診療所(ボランティアの組織)の人から、「筋肉が堅くなっている。福祉事務所に行かなければならない。」と言われたことから、翌日、福祉事務所に行くことにした。

(五) 原告は、翌九日(金曜日)、福祉事務所に出かけ、事情を説明して相談したところ、篠辺病院に行って診療を受けるように指示され、同病院において、ふくらはぎの痛みを訴えて、電気マッサージによる治療を受けた。そして、当日は、さらに診察の必要があると診断されたため、福祉事務所の担当者から、名古屋市の指定宿泊施設に宿泊し、同月一二日(月曜日)に再度診療を受けるよう指示された。

原告は、一二日に福祉事務所に出かけ、書類の作成等所定の手続をした後、篠辺病院に行き、再度、電気マッサージによる治療を受けた。そして、福祉事務所に戻って面接を受けたところ、担当者から「医者が働けると言っているので、後は、自分でやって欲しい。」と言われたため、その日も野宿をした。

原告は、翌一三日も、足の痛みを訴えて福祉事務所に出かけたが、当日は、大菅病院に行って診療を受けるように指示され、同病院において湿布薬と飲み薬を交付されたが、当日も、就労可能と言われ、野宿することになった。

(六) その後、原告は、週二回行われる炊き出しを頼りにし、空腹時には、水を飲むなどしながら野宿生活をしていた。

そして、毎朝、笹島に出て、手配師や知り合いの業者を頼って就労先を探したが、顔付け(それまでそこで働いたことがあり、気に入っている労働者しか雇わないこと)などにより、仕事を得られなかった。

(七) しかし、平成五年七月一九日、手配師の紹介により、春日井市にある飛矢隆組の飯場に入ることになり、翌日から建設作業場において建設資材、廃材等の運搬等に従事するようになった。

しかし、重労働であったため、現場で足が痙攣したこともあった。そして、同月二四日(土曜日)の夜、足が痙攣し、二時間ほど動けなくなったことから、二五日に、「明日(月曜日)医者に行きたい。」との申し出をしたところ、解雇され、二六日、約一万六〇〇〇円の支払を受けた後、飯場から出されてしまった。

(八) そこで、原告は、名古屋市に戻り、旅館に三泊(一泊三〇〇〇円)して、その間、仕事を探したが、朝早くから笹島に行っても業者の車は少なかった。知り合いの業者は、ほとんど来ておらず、来ていても、原告が足の病気を抱えていることを知っていて、雇ってくれず、他の業者は、顔付けにより、雇ってくれなかった。

そのような状況は、笹島以外でも同様であった。

(九) そのため、原告は、平成五年七月二九日、笹島診療所での医療相談の際、足の痛みなどの事情を説明し、翌日、福祉事務所において、生活保護の申請をすることにした。そして、当日も所持金がなかったため、野宿をせざるを得なかった。

2  次に、証拠(甲一、一〇、一九、乙五、一〇、一三、藤井証人、神谷証人、原告本人)と弁論の全趣旨によると、本件申請の状況と福祉事務所のその後の対応振りについて、次の事実を認めることができる。

(一) 本件申請の際には、笹島診療所の構成員である藤井克彦(以下「藤井」という。)が原告に同行した。

(二) 原告は、福祉事務所において生活保護の申請のための所定の書類に必要事項を記入して提出し、面接担当者である神谷の面接を受けた。

そして、面接後、神谷の指示により、医療要否意見書用紙(乙五)を所持して大菅病院に行き診察を受けたが、触診の後両足とも筋肉痛だと診断され、湿布薬三パック及び内服薬七日分を受け取り、福祉事務所に戻って来た。

その後、原告は、再度、神谷と面接したが、神谷は、大菅病院に電話をして診断結果を問い合わせた上、「医者が足の筋肉痛なので働けると言っている。後は自分でやって欲しい。」との回答をした。

そこで、原告は、藤井と相談したが、その結果、再度依頼しても受け入れられければ審査請求をしようということになり、二人で、再度、神谷に対し生活保護を開始するよう依頼した。これに対し、神谷は、他の担当職員とも協議をした上、「就労可能な場合には、生活保護を受けられない。私達では、どうしようもない。仕事は自分で探して欲しい。就労可能な人には、宿泊所の紹介もできない。食事の保障もできない。」と回答した。

そこで、原告は、藤井と相談して審査請求をすることにし、神谷に対し、その旨伝えるとともに、審査請求をするために必要な書類の交付を要求したところ、神谷は、「八月一二日までに却下の通知書を作るので取りに来るように。」と指示をした。

(三) 原告は、平成八年八月九日にも、福祉事務所において、右と同様の訴えをし、大菅病院において診療を受け、同月一三日にも同様にして診療を受けた。

そして、一三日に神谷又は担当の中山主査から、本件廃止決定の通知書(甲一)の交付を受けた。

その後、藤井は、本件廃止決定に対する審査請求書を作成した上、同月一七日、福祉事務所を訪れて中山主査に対し、そのような形式のものでよいかどうか尋ねたが、中山主査は、何の指摘もしなかった。

(四) そこで、平成八年九月一日、原告と藤井は、愛知県に対し、右審査請求書を提出したが、担当職員から、内容的には、保護開始決定に対する審査請求書になっているとして、保護開始決定の通知書の提示を求められた。

そこで、藤井は、その場で、福祉事務所に電話をかけ、中山主査に確認したが、同主査は神谷にも尋ねた上、「一日外来の場合には、全員に保護決定通知書を省いている。渡す余裕がない。」との回答をした。

そのため、藤井は、受付日は九月一日とするとの約束を取り付けた上、新たに審査請求書を作成し、翌二日に提出した。

(五) 翌三日、藤井は、福祉事務所を訪れた際、中山主査から、本件開始決定の通知書(乙一〇)を受領するよう要求された。

しかし、その通知書には、申請書受理後一四日を経過した理由が記載されていなかったため、異議を述べたところ、中山主査は、「八月一三日に渡せなかったため」との理由を記載して受領を求めたので、一旦、その記載に異議を述べたものの、最終的には、それを受領した。

3  ところで、被告らは、原告が稼働能力を活用していないため補足性の要件を欠いている旨主張する。

しかし法四条一項に規定する「利用し得る能力を活用する」との補足性の要件は、申請者が稼働能力を有する場合であっても、その具体的な稼働能力を前提とした上、申請者にその稼働能力を活用する意思があるかどうか、申請者の具体的な生活環境の中で実際にその稼働能力を活用できる場があるかどうかにより判断すべきであり、申請者がその稼働能力を活用する意思を有しており、かつ、活用しようとしても、実際に活用できる場がなければ、「利用し得る能力を活用していない」とは言えない(生活保護手帳(甲一三)の三九四頁、三九五頁も同趣旨と認められる。)。

これを本件について見るに、前示1の事実によると、本件申請当時、原告は両足に筋肉の痙攣が生じることがあり、また、両足の痛みを訴えており、実際に建設労働の場や飯場において、足の筋肉の痙攣が生じている。そして、足の筋肉の痙攣のために病院に行こうとしたときに、それを理由に解雇されている。

そうすると、原告の右のような症状が医学的に見てどのような原因により生じていたのかは明らかではないが(足の筋肉の痙攣は、打撲等の外部的な要因により生じるほか、年齢、生活状況、稼働状況、栄養状態等により、種々の原因で生じ得る。)、現実に右のような症状が出ている以上(これが仮病であったと認めるに足りる証拠はない。)、野宿生活をし、所持金もない状態では、湿布薬等による手当てをしても、容易に健康状態を回復できたとは言えない。

したがって、本件申請当時、原告は、稼働能力があるとはいっても、両足を使って建設資材等を運搬する等の重労働に従事する能力はなかったものと認められる。

他方、原告は、1において判示したように、本件申請前、可能な限り、職を見つけて稼働しており、本件申請前の平成五年七月二七日、二八日、二九日にも求職活動をしているのであって、原告が就労の意思を有していたことは明らかである。しかしながら、平成五年の五月以降は、名古屋駅付近において野宿者が急増し四〇〇人を超える状態となっていたこと(甲五の一ないし八、甲一〇、一九)からすると、野宿生活をしている日雇労働者の原告が、右のような健康状態で就労先を見つけることは、極めて困難な状態であったと言える。そして、実際、原告は、後に三3(三)おいて判示するように、平成五年九月末まで職を見つけることができなかったものである。

そうすると、本件申請当時、原告は、軽作業を行う稼働能力は有していたが、就労しようとしても、実際に就労する場がなかったものと認められる。

したがって、本件申請当時、原告が利用できる稼働能力を活用していなかったとする被告らの主張は、失当である。

なお、被告らは、本件申請当時、公共職業安定所において求職すれば、職を得ることが可能であった旨主張するが、証拠(甲一〇、一四、一五の一、一六、一九、二〇、乙二二、二三、藤井証人、庄谷証人、原告本人)によると、公共職業安定所による日雇労働の紹介を受けるためには、日雇労働被保険者手帳(白手帳)を取得することが必要であるところ、名古屋市においては右取得のために住民票を要するなど、野宿者にとっては困難な要件が課せられていたこと、そのため、名古屋市における野宿者の求職活動の大半は、早朝に名古屋中公共職業安定所付近の路上で、手配師を介して行われていたこと、原告も、求職活動は、手配師を介して行っていたことが認められる。したがって、前示のように大量の野宿者が生じているという状況下において、自らも野宿者である原告が公共職業安定所に行けば職を得ることができたとの被告の主張は、採用することができない。

4  右に判示したところによると、原告が稼働能力を活用していないとの理由により、補足性の要件を満たしていないとしてなされた本件開始決定は、右の判断を誤ったという点において、これを取り消すべき違法事由があることになる。

三  不法行為について

1  まず、一及び二2において判示したところを前提として、本件開始決定のなされた時期について判断する。

被告らは、本件開始決定は、平成元年八月一二日になされたものであると主張し、乙一三(神谷作成)には、同月一〇日に本件開始決定をし、同月一二日に本件開始決定の通知書(乙一〇)と本件廃止決定の通知書(甲一)とを作成した旨の記載があり、神谷証人もこれに符合する供述をする。

しかしながら、二2において認定したところからすると、右通知書は、同年九月一日の時点では作成されていなかったものと認められる(右記載及び供述は、信用できない。)。

また、神谷証人は、平成五年七月三〇日に、原告から、不服申立てをするために保護廃止決定書を交付するよう要求された旨供述し、乙一三にも同趣旨の記載がある。そして、同年八月一三日には、原告に対し本件廃止決定の通知書しか交付しておらず、同月一七日に藤井が中山主査に対し、本件廃止決定に対する審査請求書を見せたにもかかわらず、何の指摘もしていない。さらに、前示のように、神谷は、本件申請当日、原告に対し、生活扶助、住宅扶助はできない旨明確に答えている。これらの点を総合考慮すると、本件開始決定は、本件申請時に行われたものと認められる。

2(一)  次に、本件申請当日、原告は、神谷に対し、生活扶助、住宅扶助が認められないため不服申立てをする旨告げているのであるから、被告所長としては、本件申請から一四日以内に書面により本件開始決定の通知をすべきところ、その通知は、本件申請から一箇月を経過した後である平成五年九月三日になされているから、右通知は、法二四条三項に違反する。

(二)  そして、本件開始決定が違法であることは、二において判示したとおりである。

なお、証拠(甲一、乙一三、神谷証人)と弁論の全趣旨によると、本件廃止決定は、稼働能力において補足性の要件を満たしていないことを理由とし、かつ、応急的に行った医療扶助を廃止するためになされたものであることが認められるから、前示のように補足性の要件を満たしていないとの理由が成り立たない以上、違法と評価すべきことになる。

3  次に、証拠(甲一九、藤井証人、原告本人)と弁論の全趣旨によると、本件申請後の原告の生活状況について、次の事実を認めることができる。

(一) 原告は、所持金がなかったので、本件申請当日以降も、野宿をせざるを得なかった。また、食べる物を得られるのは、月曜日と木曜日の夜に行われる炊き出しだけであり、たまに、野宿をしている知人からパンなどをもらって食べたほかは、駅のトイレなどで水を飲んで腹を満たさざるを得なかった。

(二) 足の方は、痛みが続き、時々、痙攣を起こした。そこで、原告は、前示のように八月九日、福祉事務所を訪れて大菅病院に行き一週間分の薬をもらったほか、検査の結果が出るまでということで、一泊のみ旅館の紹介を受けた。

また、原告は、同月一三日にも福祉事務所を訪れ、右と同様にして一週間分の湿布薬をもらった。

(三) 他方、原告は、笹島等で仕事を探し、また、知人やかつて働いたことのあるところを頼って仕事を探したが、見つからず、平成九年九月末、ようやく、安藤組の小牧市にある飯場に入ることができ、以後も転々と職を変更しながら、生活をしている。

4  そこで、右1ないし3において判示したところを前提として、不法行為の成否につき判断するに、被告所長が、原告につき、平成八年五月二二日付けで生活扶助、住宅扶助、医療扶助を内容とする生活保護を開始していること(乙二五)からすると、本件申請についても、他の要件は満たしていたものと推認できるから、被告所長において稼働能力に係る補足性の要件を適正に判断しておれば、遅くとも、平成五年八月一三日には、本件申請時から生活扶助、住宅扶助、医療扶助がなされていたものと推認できる。

また、証拠(甲一、一〇、一九、乙一三、藤井証人、神谷証人、原告本人)と弁論の全趣旨によると、被告所長が違法に本件開始決定及び本件廃止決定をしたのは、医者から就労可との診察結果を聴取した場合に、稼働能力の活用につき前示のような観点からの個別具体的な検討をせず、抽象的な就労可能性を前提として、稼働能力を活用していないとの判断をしていたことによるものと認められ、また、本件開始決定の通知の遅れについては、明らかな法違反であるから、それらの点につき、被告所長に過失があったものと認められる。

そうすると、右3において判示した事情、二2において判示した事情を総合考慮すると、原告は、本件開始決定、本件廃止決定、通知の遅滞という一連の行為により、本件開始決定の取消しによっては回復できない精神的損害を被ったものと認められ、それに対する慰謝料の額は、右の諸事情を総合考慮すると、二五万円と認めるのが相当である。

なお、遅延損害金の起算点については、右一連の行為の終わった平成五年九月三日から起算すべきことになる。

第三総括

以上判示したところによると、原告の被告らに対する請求は、本件開始決定の取消し並びに国家賠償法一条一項、三条一項に基き、被告名古屋市に対し、慰謝料二五万円及びこれに対する平成五年九月三日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右の限度でこれを認容し、その余は、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡久幸治 裁判官 森義之 裁判官 岩松浩之)

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